メディア・リリース情報

過去TVや雑誌、新聞等のメディアに取り上げられた開田の姿をご紹介します。
ご覧になった事がある方でも、それとはお気づきにならない事もあるでしょう。
「あっ、あれそうだったのか!」と、記憶の糸がつながって、親近感を持って頂ける事を期待して、とっても簡単なダイジェストですが、お読み頂ければと思っています。
● ● 1998年分 ● ●

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1998.12.1発行、ミリオン出版「OutRider」1月号

木曽馬の里の風景が、表紙を飾っています。
『特集・ニッポンを旅する外国人気質』にツーリング・ルートの一部で登場しています。 関連記事は巻頭『ようこそニッポン/フランス人ライダーと走った日本の現風景』に、サラッと載っています。
「どこかヨーロッパ的」という描写もあって驚かされます。
御嶽をバックにしたツーリング写真が奇麗です。
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1998.10.27 放送、NTV系列「ズームイン!!朝!」
「情報トレイン/お味噌汁にこだわってます」で『すんき汁』が紹介されました。
ダイジェスト

「長野からは・・・」と突如登場したのは、なんとっ!!『すんき汁』です。
おなじみの御嶽山のカットから、開田村が紹介されます。
このような山奥ですから、昔は塩が貴重だったので、すんき漬ができた・・・というわけです。 まずはすんきの材料『開田かぶ』の紹介に、松田さん宅を訪れます。
ご存知、立派な茎と葉を持つ赤いかぶです。
すんき汁をすする村人達は口々に「酸い(すい)」と言うのですが、これがまさしく開田の言葉です。(勿論、「酸っぱい」という意味です。)

続いて『開田かぶ』の茎と葉を『すんき』にするところを見ようと、青木さん宅を訪れます。
葉を湯通しし、樽(プラスチックですが)の中に入れ、『すんきの素』を入れるのですが、ここでは、前の年のすんきのしぼり汁を『すんきの素』として入れていました。
鼻を近づけたレポーターの、のけぞりつつの感想は「鼻につーんとくる!」でした。
塩分0%、乳酸醗酵の漬物『すんき』は、こうして作られるのですが、興味深い話がありました。
青木さん曰く「漬ける人の体質が酸性だと『すんき』は酸っぱくならない」のだそうです。

最後に訪れた嶽見さん宅では、「二日酔いの朝に良い」と言っていましたが、地元以外ではまず口にできないのが残念!

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1998.10 放映、NHK総合「小さな旅」
「木曽馬 ひとつ屋根の下で 〜長野県開田村〜」で登場しました。
ダイジェスト


御嶽山、続いて木曽馬の里に放牧されている木曽馬達の走る姿・・・まぎれもなく開田村です。
まずは開田村と木曽馬の紹介のナレーションです。
長野と岐阜の県境、信仰の山・御嶽山の裾野に広がる開田村は、標高1100mの高原です。
山々に囲まれた開田村では、粗食に耐え農耕に必要だった木曽馬は、昭和の初めには5000頭以上飼育されていました。
戦後、その役割を農機具や車に取って代わられた為、51年には32頭にまで激減しました。
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注釈:この番組で紹介された木曽馬についての詳細は、当サイトの『木曽馬って?』のページをご覧頂くと、よくお分かり頂けると思います。

今年4月、村が主体になった木曽馬保護の為の牧場ができました。
(整備が終った・・・という事ですが。)
開田村や周辺で、様々な事情から手放さなければならなくなった木曽馬25頭が、飼育されています・・・と紹介されたのは、『木曽馬の里・乗馬センター』の事です。
今では日本全国で100頭余りになってしまった木曽馬を、センターでは増やそうと取り組み始めましたが、数が少なすぎるため、近親交配の問題等から思うように進んでいないようです。
昔、木曽馬の世話は女性や子供の仕事でした。
村の人達は、小さい時から木曽馬をいたわり、友として暮らしてきました。

木曽馬は、隣の集落に行くのにも峠を越えていかなければならない開田村の生活を、支えてきました。
かつてはほとんどの家で木曽馬を飼っていたのですが、現在、村にある630軒のうち個人で馬を飼っているのはわずか4軒です。

まずはそのうちの1軒で、メスの木曽馬・さちこを1頭飼っている柳田さん(64歳)を尋ねて話を聞きます。
「生まれてすぐに母親が死んでしまったので、幸せになって欲しいと『さちこ』と名づけた」そうです。
(黒毛のさちこは、実に賢そうな目をしていました。)
子供の頃の木曽馬と一緒の生活が忘れられすに、畑仕事に使われなくなった今でも木曽馬を飼っている、という柳田さん夫婦にとってさちこは、「子供のようにかわいい」そうで、
「家事を後回しにして馬の面倒をみる。」
「朝はまず馬のえさ。」
「馬が好きだけど、この子は特別かわいい。」・・・・と、言う事でした。
今、村の中では馬を自由に放牧できないので、柳田さんは家の近くに小さな放牧場を作りました。
喜ぶさちこを見るのが楽しみだが、いつかは動けなくなり面倒を見れなくなるのが気がかりだと言います。
柳田さんご夫婦は、「力が続く限りさちこと一緒に暮らしたい」と言っていました。

続いて、木曽地方で最も馬の飼育が盛んだった開田村に今も残る、木曽馬で財を成した豪農・山下家住宅を訪れます。
山下家は300頭近い馬を持つ馬地主でした。
馬小作は1年に木曽馬2頭売れば、生活がまかなえた為、馬は人間以上に大事にされたそうです。
かつては厩と世帯が一体の家は多くあり、木曽馬は1つ屋根の下で大切に育てられていました。
一家の生活を支えてくれた馬は信仰の対象にもなり、集落ごとに、確認されているだけで1200体以上の馬頭観音があるそうです。
これらは、今でも村の片隅に、ひっそりとたたずんでいます。
今年に入ってから、相次いで2軒が馬を手放したそうです。

次は、その一人、田中さんを尋ねました。
田中さん宅には、親子2頭の木曽馬がいました。
放牧できないため、厩で飼われていた親馬の沢藤(さわふじ)は皮膚病にかかってしまい、仔馬と共に手放さなければならなくなってしまったのだそうです。
沢藤は、田中さんが飼った馬の中で一番気が優しくて、おとなしい馬だと言います。
馬を手放す当日、用意された車に乗せられそうになり、ききわけのよかった沢藤が初めて抵抗していました。
田中さんは、沢藤の皮膚病が治って、新しい飼い主に大事にされる事を祈って手放しましたが、
「厩舎を空にしたことがないのでさびしい」・・・と、寂しそうでした。
沢藤は車に乗せられると、おとなしく連れていかれました。
厩は取り壊されるそうです。

最後に、独力で木曽馬を増やそうとしている坂下さん宅を訪れます。
坂下さんの飼っている木曽馬5頭は、みな手入れが行き届き、毛もつやつやでとてもきれいです。
毎朝5時に起き、1日2回ふんだんに餌を与え、世話をすること25年間。
家の手伝いで、子供の頃から馬の面倒を見てきたそうです。
昭和40年代半ば、木曽馬に絶滅の危機が迫ると、自分の手で増やそうと思ったそうです。
去年と今年と続けて3頭も仔馬(メス)が生まれたそうで、期待が膨らみます。
坂下さんの努力は、少しずつ実を結んでいます。
川を挟んで家の向いの岸辺の小さな牧場は、仔馬が生まれる事に備えて、一人で山の斜面を削って作ったのだそうです。
坂下さんは言います。
「(仔馬が増えて)幸せな気がする。」
「でも、俺一人になってしまうようで寂しくなっていく。」
「飼うのが大変で、あまり人にはすすめられないけど、本当はもっと飼って欲しい。」
今58歳の坂下さんが、個人の飼い主では一番の若手です。
昔のように、村あちこちで木曽馬が飼われる風景を夢見ている、と言う事でした。

西野の稲刈り風景が映し出されます。
秋、柳田さん夫婦も、愛馬さちこの為の冬支度を始めていました。
刈り入れで一番忙しいこの時期、納屋の2階いっぱいに、干し草を集めるそうです。
6月から機をみては草を刈り干し草を作り、霜が降り雪が大地を覆う時まで、作業が続くと言うことです。
春、元気に跳ね回るさちこの姿が、ご夫婦の支えなのだそうです。

坂下さんの冬支度は、岸辺の牧場の馬を、家に連れてくる事から始まりました。
坂下さんの家は、今ではもう見られなくなった、家の南側に厩がある昔ながらの造りです。
(映像では、台所に窓があり、水仕事をしながら馬を見る事ができるようになっていました。)
冬は家で馬を見る事ができるので、坂下さんは嬉しいそうです。

馬と人が心を通わせあって暮らす高原の秋・・・・でした。

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1998.7 放映、TV東京系列「いい旅・夢気分」
「夏キラめく木曽路 〜宿場町旅情と渓谷の涼〜」で再び登場しました!
ダイジェスト

リポーター(旅人)は、大出 俊さんと中原果南さん。
木曽路を北上し、開田高原の名所も訪れました。

番組は、九蔵峠の展望台から御嶽山の姿を見ながら始まりました。
でも、あいにくの雲で御嶽山は半分しか見えません。
とりあえずはあの御嶽山に登ろう、ということで三岳村の御嶽山ロープウェイへ向かいます。
「雲が近いですねぇ」と言いつつ開田高原を見下ろしていました。
ロープウェイの途中『幻の滝』を見る予定だったらしいのですが、天候悪く全く見えません。
ちなみにこの『幻の滝』は開田村にあります。
(取材期間:7月13日〜7月16日)
旅は奈良井宿から始まり、旧道を経て鳥居峠、水木沢天然林、開田高原へと進みます。

1.開田高原入り口付近

例年より1ヶ月も早く開花している季節はずれのコスモスのアップから始まり、白樺林を散策します。
「昔はこのあたりは木曽馬の放牧地だったそうです。」
「御嶽山の裾野に、美しい高原が広がっています。」と、開田高原を表現していました。
続いて忘れな草群棲地へ移動。
誰かが嫁入りしてきた時に植えたものが増えた・・・というような簡単な解説をしていましたが、詳しくは解りませんでした。

2.そば道楽体験道場

早速そば打ちを体験します。
指導するのは達人・水口さん。(筆者の友人の母君です。)
2人で悪戦苦闘しつつ打っています。
出来上がったそばを試食しつつの感想は「おいしい。」「腕じゃなくて素材がいい。」

3.木曽馬の里・木曽馬乗馬センター

続いてすぐそばの乗馬センターへ向い、引き馬で白樺林のコースを回る体験乗馬をします。
解説は乗馬センターのホープ・中川氏です。
「明治、大正の頃は7,000頭ぐらいいて、軍馬として改良されそうでしたが、開田の人は小さい馬が好きで、隠れて飼っていました。今では全国でも80頭くらいしかいません。」
中原さんは、今年生まれた仔馬を撫でていました。感想は「やわらかい」。

4.やまゆり荘

立ち寄りで味わえる素敵な温泉、という事で紹介されました。
御嶽明神温泉の露天風呂に浸かって、「名峰御嶽山を眺めながらの温泉は最高の気分」と言っていましたが、またしても天気が悪くその雄姿は半分しか見えませんでした。
やまゆり荘の詳細はリンクサイトをご覧ください。

5.開田ファーム(入園料500円 7月〜9月要問合)
タイムリーに、ブルーベリー狩りに訪れます。
感想は「ぎっしりなってる」「意外と甘い」「皮が柔らかい」「ほんのり甘酢っぱい」「1粒づつ味がち違う」等々。
確かに、なかなか生では味わえません。
「もぎたてが一番」「きりがないねー」「全部食べつくしそう!」・・・等々と口にしつつ、その味を堪能しているようでした。

その日の宿泊は、木曽駒高原側の旅館でした。
その後、木曽路を南下していきました。

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1998.7.1発行、ミリオン出版「Rambler Vol.1」

P.50 「そば打ち体験!」に登場しました!
オートバイ・ツーリング雑誌のOutRider増刊号に、当サイトでもご紹介した「そば打ち体験道場」の体験記事が掲載されています。
白黒ページでしたが、ちょっとした雰囲気がわかります。
「信州、山岳ロードを駆ける!」特集では、木曽路の情報も掲載されています。
定価590円でした。
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1998.2 放映、NHK総合「生活ほっとモーニング」
「厳冬にっぽんの食」に登場しました!
ダイジェスト

「塩を使わない漬物の謎」・・・ということで、登場するのはなんと『すんき』です。
一面雪景色の1月。
開田村の冬は氷柱のズーム・インで寒さが強調されます。
番組の女性レポーターが、凍えながら訪れたのは上村家。
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余談:多分筆者の同級生のうちです。

おばあちゃん、お姑さん、お嫁さんの女性陣3代で出迎えます。
まずはスコップ片手にお嫁さんと共に雪の畑へ。
暖かい雪の中(!)で保存された野菜を、掘り起こしにいきます。
「こんな寒さを利用した漬物を見せてもらいましょう」という事で、お姑さんが漬物小屋に案内します。
「小屋の中は外と同じ寒さです」という説明に苦笑!
すんき独特のすっぱいにおいと、凍った姿に驚きつつも試食。そのすっぱさに、レポーターは再び驚きます。
すんきが、塩を使わずに乳酸菌で醗酵させた漬物である事、山奥の村では塩が貴重品であったため、漬物には使わなかった事等を説明。
(すんきの詳細は『開田者のつぶやき 第2話』をご覧下さい。)

作り方を見せてもらおうと、実際にお姑さんに作ってもらうのですが、季節がら赤かぶの葉はありません。
野沢菜の葉で代用します。
まずは1cm長程度にざくざくと切って、鍋でお湯を沸かしておいたところへ入れ、さっと湯がいて上げます。
これが歯ごたえの秘訣だそうです。
温かいうちに、すんきのタネ(去年のすんきです)と交互に重ねて漬物桶に入れていきます。
温かいうちに入れるのも、すんきのタネを入れるのも醗酵促進の為です。
このタネを絶やさずに代々伝えて行くのが、台所をあずかる開田村の女性の勤めだそうです。
仕込みの終わった桶は、冷えた漬物小屋に入れられ、じっくり醗酵が進むというわけです。

さて、スタジオにもどって、ゲストの伊奈かっぺいさんと朝加真由美さんの前には、すんきが用意されています。
しかし・・・やっぱり、山を降りたすんきは、少々味が変わってしまっているようでした。
「古漬けのすっぱさとは違って、ヨーグルト系のすっぱさ」という感想を、述べておりました。
(アナウンサーさんは、「まさに太古の時代から」と言ってましたが、そりゃあんまりです。) 伝承料理研究家の奥村氏も登場して、「開田村には30年前に行って懐かしい」と語ります。
奥村氏によると、時間はかかるが、タネが無くてもすんきはできるそうです。
昔は冷蔵保存ができなかったので、乾燥保存した前の年のすんきを、タネとして使用していたそうです。

「乳酸菌をつかった食べ物は、野菜ではおそらく世界で唯一。チベットにやや似たものがあるようですが。」という言葉に、筆者も絶句致しました。
恐るべし、すんき!!
でも、いくら番組で「塩分無しで繊維質で体にいい」とすすめても、あの辺でしか手に入らないんです・・・。

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