|
『1.木曽馬の歴史と村人のくらし』の中の『(4)太平洋戦争と木曽馬』の項目では、
戦後の木曽馬復活のお話に触れました。
最後の純血種牡馬・第三春山号の学術資料と剥製化への努力は、この会によるものです。
開田村では、昭和44年(1969年)に、伊藤正起氏を会長として、木曽馬保存会を結成し、
飼育者の確保と優良木曽馬の保留育成につとめて参りました。
今後も、貴重になってしまった木曽馬を保護し、育成していくために、
皆さんのご理解とご協力をお願い致します。
|
木曽馬保存会の結成
− 開田村/木曽馬保存会 発行『木曽馬とともに』より −
昭和40年代に入ると山間地農耕馬としての必要性は無くなり、
木曽馬の需要は急速に減少し始めたのである。
需要を失った馬は食肉用に低廉な価格で取引されるようになり、農家は経営上、
馬から和牛飼育に切り替えざるを得なくなった。
40年には木曽郡下に510頭飼育されていた木曽馬も44年には120頭と減少してしまい、
絶滅の危機にさらされることとなった。
寸時も猶予できぬ状態となり、同年6月20日、長年木曽馬とともに暮らし
馬への愛着を断ち切れぬ一握りの人達と、木曽馬保存会を結成したのである。
翌45年1月27日、日本馬事協会に長野県支部として加入が承認され、
木曽馬保存事業に着手することになった。
45年当初予算は日本馬事協会に長野県支部運営費助成金20,000円と
開田村補助金105,000円の計125,000円からの発足であった。
46年度以降は当時日本馬事協会専務であった間克市氏の御助力によって、
日本中央競馬会より賛助金の交付を受けることになり今日に及んでいる。