バイク便になる

1987年に入ってからは、飲食関係のアルバイトを昼夜掛け持ちでやったり、深夜のらーめん屋でアルバイトをしていた。昼の仕事で自分の都合に合わせて休みが取れて、それなりにお金が稼げる仕事を探す事にした。

ほぼ自分の条件を満たしたので、横浜にあったバイク便で6月から働く事にした。請負契約という事で、一応形だけは個人事業主となった。会社所有のバイクを借りる事も出来たが、毎月決まった額のレンタル料が必要だったので自分のバイクを持ち込んで仕事を始めた。

という事でまだ新しい私のバイク
KAWASAKI GPX250R の後部にはでっかい荷箱が付く事となった。
バイク便の仕事の内容は、送り主の所で荷物を受け取ったらそのまま指定された場所に届けるというものだった。主に東京横浜近辺を走り回った。 仕事自体は単純な物だが、天気のいい日ばかり走る訳ではない。それなりに稼ぐには、ほぼ毎日走り回る事となる。

この仕事は思った以上に人にもバイクにも苛酷な仕事だった。普通に仕事をしていたが、一月にだいたい4,000〜5,000キロ位は走った。
当然、タイヤ、チェーン、エンジンオイル等の消耗も激しかった。そして一年も経たないうちにエンジン付近からガチャガチャと嫌な音がするようになってしまった。

GPX250Rは、エンジンや足回りはともかく外見だけはすごく綺麗だった。馴染みのバイク屋に行ったら、見た目は綺麗なバイクなので業者の間でやっているオークションに出して売れた値段で下取りしてやってもいいよ、その代わり店で売れ残っている格安の新古車を買ってくれ。と言うので安心して仕事を続ける為にも買い換える事にした。

KAWASAKI GPZ250R →
1985年12月発売。水冷DOHC 4バルブ並列2気筒、43PS。

私が買ったのは1988年の初め頃だった。
いくらで買ったか忘れたが新車にしてはかなり安くて中古車を買う感覚だったと思う。荷箱を付けるには適したタンデムシートの形状でとても安定感があった。

未来派スポーツとして登場したが、カワサキらしからぬ奇抜なスタイルの為かとっても不人気だったらしい。このバイクが発売されたのは雑誌などで知ってはいたが自分が乗るとは思わなかった。

不人気車の筈のGPZ250Rだが、実はその価格の安さのせいか私が働いていた横浜のバイク便には一時期3〜4台程もあった。横から見た形が鎌倉で有名なお菓子”鳩サブレー”に似ていたせいか「ポッポ」などという愛称まであった。

たまたま買う事になったバイクだったが、乗り易いし形もちょっと変わっていて珍しかったので結構気に入って乗っていた。

バイク便をしていると服やヘルメットは埃と排ガスですぐに汚れ、革のグローブやブーツにも穴が開く。雨が続くと高価なカッパも割とすぐ雨漏りがしてくる。この類の品物は消耗品と思うようになり、格好よりも値段と持ち具合で実用的な物を選ぶ様になった。
例えば雨の日は、軍手とゴム長靴にバイク用品屋の処分品で買った安いカッパという具合だ。もちろん冬には防寒の為にハンドルカバーも装着した。


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