御嶽火山活動による地質・地形の変化
御嶽の火山活動は、いまからおよそ80万年程前(新生代第四紀洪積世の中期以前)に、はじまりました。 御嶽の火山活動が始まる以前、この地方は、前記の百万年程前の鎌ヶ峰附近の爆発による地蔵峠火山岩類の噴出堆積がつくり出した小さな起伏はあったものの、全体としては、標高およそ1,100m〜1,500mの凹凸のある、ゆるやかな丘陵性の高原で、北方には現在の槍ヶ岳や穂高岳の前身の北アルプスの山々が控えていたものです。 御嶽の火山活動は、ほぼ四期に亘って爆発をくりかえし、その都度熔岩や軽石などを噴出し、また火山灰を降らせ、その裾野にひろがる開田村地域には大きな影響を残しています。 いま、その第一期から第四期に亘る活動の概要とその及ぼした影響を、島田安太郎著「木曽谷の地質」より、島田安太郎先生の許可を得て転載させていただきます。 * * * * * * * * * * * * * * * * 第一期(古期)の活動 火山砂や熔岩を交互に噴出して近くの山や谷を埋めてその上に30枚前後の安山岩の熔岩を噴出して高さを増し海抜3500m位の噴火口1つの美しい円錐火山(今の富士山と同じ形の火山)ができ上がった。 その当時の山体は倉越原や、王滝村倉越・御岳の西側や北側にみることが出来る。 この古期御岳の噴出した火山灰は木曽福島町新開区上田の天神沢尾根に6mの厚さに堆積している。 辰野荒神山附近でも古期御岳火山灰が発見されている。
第三期(新期)御岳火山活動 第二期の火山活動後あまり長くない休止期を経て、第三期の御岳火山活動がはじまる。 第二期の山体をおおって熔岩、スコリア質集塊岩・スコリア質火砕流、の堆積が交互に噴出し、規模は小さいが40枚の熔岩が流出している。 この第三期の山体は現在王滝頂上から奥院・飛騨頂上・摩利支天岳で見ることができる。 この第三期の終り頃木曽川泥流が噴出して麓の渓谷を埋めて開田村西野や把之沢・末川などの平をつくり、木曽福島町の東高や西高のある平(五霊ヶ丘・小丸ヶ丘)・上松駅のある平・三帰(みかえり)・田圃(たんぼ)・大桑村須原和村・大島平・野尻駅のある平・野尻向いの平・南木曽町妻籠和智野平・山口村笹屋平などをつくり140Kmも下流岐阜県各務ヶ原に達し各所に河岸段丘を残している。 放射性炭素C14による絶体年代測定法による測定によれば噴出年代は27,000年前といわれる。
第四期(新期)御岳火山活動 第三期の火山活動後短い休止期を経て、第三期の頂上附近ほぼ南北に並ぶ火口群が活動した時期で、活動は四の池・一の池・二の池・三の池・五の池の順序で活動したことが火山灰の調査の結果明らかにされている。 この期の火山灰は木曽谷各地はもとより、塩尻市小坂田・上伊那天竜川の河岸段丘にも降下して堆積している。 第四期の活動開始の時期は放射性炭素C14によって測定されていないが推定するならば、20,000より若い時代である。 この時期は各地に山崩れ崖崩れが起こり、火山灰をまじえた崖錐が各地に残されていて、その当時を知る手掛かりになっている。 ▼
次へつづく |