ちょっと前まで「開田村」だったんだけど・・・ ここ数年、天気予報の全国最低気温観測地として、「開田高原」っていう地名を耳にするようになり、開田者のワタシは「??」と思ってました。 このサイトをずっーと読んで頂いた方の中にも、混乱してしまった方がいるかもしれませんが、「開田高原」という地名は実際にはありません。 行政上の地名は「開田村」なんです。 なのにこのサイトで「開田高原」を多用するのはなぜか? それは・・・ NHKの天気予報が「開田村」から「開田高原」に地名を変更した事情に関係してます。 ご存知のとおり、世間では「村」という響きに、必要以上に「田舎」の劣等感を感じる向きがあります。 「えらくとんでもない所で生まれたみたいだ!」と感じてしまう人がいても、当然といえば当然でしょう。 そんな風潮から、開田村では諸方面から意見を受けたらしく、NHKのキャスター櫻井洋子さんに直々に電話をして、「『開田高原』に改めて欲しい」と頼んだらしいのです。 だからといってNHK側も「頼まれて変更なんかするもんなんだなぁ」と、ワタシは妙に感心しましたが・・・。 なにはともあれ、「??」だった天気予報の地名が変わった事情が、意外にもそんな事だったと分かったわけです。 分かったからには、開田に貢献しようと作っているこのサイトは、村側の意向を尊重します。 「開田高原」をメインで使用している所以です。 もっとも、生っ粋の開田者の著者本人は「村」の響きには何も感じてなかったりしますが・・・。 |
![]() ![]() |
ひと昔前「開田高原」といえば・・・ ほんの数十年前まで、この辺の言われようは相当なものだったようです。 最近、開田中学校の卒業生座談会で語られたエピソードの数々を、知る機会がありました。 開田者のワタシには随分と笑えるものでした。 新任の先生が赴任して来た時の話なんか、そりゃあヒドいもんです。 昭和20年代。 地蔵峠をこえて開田に赴任してくる先生の中には、峠の滝の所まで来て、泣き出して帰っちゃった先生もいたっていうんですから・・・。 昭和30年代後半。ワタシが生まれた頃。 開田中学に転任して来た先生の話もヒドいもんです・・・。 家庭訪問した先での話。 「上松(近所の町)の中学校で6年間教えていた」と自己紹介したところ、生徒の親に「先生は6年も下におって、何やったのよ?」ときかれたらしいのです。 「下」っていうのもまるで「下界」のようで十分すごいのですが、「何やった?」と言うのは、かなり強烈です。 これは村人達の間に、当時開田の学校へ赴任して来る教師というのは、教師になり立てか、問題を起こして島流しの状態になった者 (!)という認識があった、という事を物語っている逸話です。 半分本当だった・・・という話もあります。 なにはともあれ、今じゃ新任教師の希望赴任先の、人気の地方の1つなんだそうですから(ホントかなぁ?)、時代が変わってよかった、よかった! |
|
近隣での評判はどんなものだったか、と言うと・・・ やはり昭和20年代。 木曽郡では中学野球大会が行われていました。 当時郡下から集まった中には、スパイクにユニフォームのチームもあったそうです。 開田中チームは半袖のシャツに白いズボン。 ズボンは軍隊から引き上げてきた人の白いズボン下を借りたものだったり、靴が無い人は白足袋を麻紐でしばったり・・・。 開田の生徒は「山猿」呼ばわりされ、試合中には「モンキー!」の野次が飛びます。 しかし・・・開田の生徒はその意味を知らなかったので、皆して 「モンキーってなんずら?」 と、思っていたらしい・・・(笑)。 最近になってからは、他町村の開田の見方も、随分変わってきているらしいので、これまたよかった、よかった! |
|
失礼な実話 これは数年前の話。 村内には『木曽カントリー』という、関西方面ではわりと人気のある(らしい)ゴルフ場があります。 なんで人気かというと、クラブハウスで手打ちそばが食べられるからだ、というウワサもありますが、本当のところは知りません。 まあとにかく、週末などは結構にぎわっているらしいのです。 ある日、プレー中にお客さんが一人倒れてしまい、救急車で病院に運ばれるという事件がありました。 お忙しいサラリーマンの方々のことです。プレーフィーもお安いもんじゃないでしょう。少々体調が悪くても、プレーをする事もあるでしょう。 でもっ!!でもですよ! 仮にも人が普通に生活している所で、何も『高山病』になることはないじゃないですか・・・・。 知らない人には、なんかまるで、とんでもない高山地帯のように思われてしまうぅ・・・。 |
|