「しりゃーつ」騒動 5月の連休が終わったちょうどその頃、あの騒動が起こりました。 観光案内所のサイトでも一時話題になっていましたが、ご多分に漏れずこのサイトのアクセスも普段の数倍になりました。 例の「白い集団」の余波(ス○ラー波か?!)でした。 その集団に対して特段の感想も無いのですが、迷惑だったことは確かです。 たまたまワタシが居合わせたのを知った同郷の友人なんぞも、 「しりゃーつ(白い奴)は、いげんした(どうした)?」 と、心配していましたので、ワタシの見聞きした状況でも記しておこうかと思います。 岐阜から長野に入るとなれば、報道されているルートを来れば、県境の長峰峠に来ることは明らかでしたので、村内を通過する事にさして驚きはありませんでした。 実際、当の村人達も特に騒いじゃいませんでした。 連休中はあまりTVを見る暇もなかったし、村にいたワタシ自身も、危機感も無く普通に過ごしていました。 その頃、都会に居て偶然早朝のTVを見ていた知人によれば、 「いきなり日の出前の綺麗な御嶽山と、長い車の列が中継されて驚いた。」 そうです。 マスコミの騒ぎは前日の夜から既に始まっていて、県警や役場の職員・村の消防団などが、夜を徹して脇道に入り込まれない様に警戒をしていた様子も放送されていたようでした。 一同が村に入り停車すると、某局の中継では「“きゅうぞうとうげ”という所に来ました。」とレポートしていたそうです。 レポーターさん、そこは「きゅうぞうとうげ」じゃありません。 「くぞうとうげ(九蔵峠)」と読みます。 九蔵峠のある道路を「林道」と呼んでいるレポーターもいました。 確かに林間を縫う様に走っていますが、林道なんかじゃありません。 3ケタではありますが、国道です。 当然、村人が日常生活に使う道路です。 「車の通りは少なく、混乱はありません。」と言うレポートもありましたが、朝っぱらの忙しい時に、あんな騒ぎに巻き込まれるのはまっぴらなので、村人の多くはあの道を避け迂回していたわけです。 昼前、そんな所で連中がしばらく休憩したままだった事など露知らず、ワタシはいつも通りに村の中で用事をすませたところでした。 自宅に戻ろうとバイクで国道に出たら、運悪く休憩を終えた一団のノロノロ行列に出くわしてしまったのです。 警察車両数台を先頭に、白い集団、警察車両、報道関係の車、一般車と、時速15K程で通過していきます。 果てしなく続くのは連中本体ではなく、後ろに続く意味不明な車の列でした。 白い集団は15台位で、それ以外の車が50台程はいたんじゃないでしょうか。 偶然巻き込まれてしまった一般車もいたのでしょうが、どう見てもただの野次馬な人々の車もいました。 信じ難いような遠くの他県ナンバーを付けたタクシーもいました。 有象無象 有象無象 有象無象・・・・・・。 そして、山々に轟音を響かせて飛び回るヘリコプターが上空に3機。 延々と続く車の通過待ちで、国道を挟んで反対側にある自宅に入れなかった・・・というのが、ワタシの直接被った被害でした。 聞くところによれば開田村以西の通過地域では、連中本体というよりも、付随した取材者達やらその他野次馬やらによる様々な被害を被った方々もいるそうで、それに比べれば、開田村は無事だった方なのでしょう。 で、接近中のなんとか星ってどうなったんだ・・・? まさか「火星」のこと?? |
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<昭和28年2月26日撮影/「夜明け前」出演後、古屋敷にて> ワタシの父親や村の若者達が、映画「夜明け前」で武士のエキストラを演じたのは、1953年の話です。 島崎藤村作の同小説を元に、木曽馬籠を舞台にした幕末から明治維新の歴史が描かれたこの映画は、開田村近隣の木曽地方で撮影された模様です。 吉村公三郎監督で、劇団民芸が総出演している作品だそうです。 なにしろ古い映画なので、目にするのは難しいかもしれませんが、インターネット上でもレンタルしているビデオ屋さんがありましたので、ご興味ある方は探してみて下さい。 うーむ、武士は先を越されてしまった。 その上を行くには、ジェダイになるしかないかも・・・ A long time ago, in a galaxy far, far away... |