(2) 開田村は木曽馬の産地です


[Kiso Uma Photo]


江戸時代末期から明治初年にかけて、
開田村は木曽馬の主産地として、天下に名声をはせたものでした。
一時期は親馬1000頭から1300頭に上ったこともありました。


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では、なぜ開田村の人達は馬を飼ったのでしょう?
いつ、どうして、なんのために?
どうして開田村は、馬の主産地になれたのでしょうか?


馬の特性と、山村農業の生産・経済などから考察してみましょう。


1.木曽馬は粗食!

高冷地の山村では、しばしば不作や凶作になります。
人間と食糧が競合しないことは家畜飼育の決定的条件でした。
馬の飼料はもっぱら野草で間に合います。これはこの地方の家畜に最適でした。

2.『こやし』が必要だった!

高冷地の山村には馬のたい肥が最適でした。
馬のふんは醗酵しやすく、高冷地の畑を温めるのに役立つのです。
これは山村の畑作には絶好の肥料でした。

3.馬は商品でもありました

江戸時代に入り、商品経済が山村にも及びます。
馬は山村農民にとって、絶好の現金収入となったのです。
高値で売れ、市場までの山坂道を背負って運ぶ必要もありません。

4.環境もよかったのです

御嶽山のふもとに広がる、広大な高原山野!
これは、馬の生育に絶好の自然環境だったのです。


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しかし・・・
この大陸系の馬が、
どのような経路で、この山村で飼育されるようになったのか

経過はあきらかではありません・・・




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